年末になり、おばあちゃんが亡くなりました。
大人になっても経験が少ない可能性もある、通夜や葬儀についてと、追悼の意を込めてのエントリです。
通夜と葬儀については、あくまでぼくの体験を書いた一例なので、地域や団体などなどで異なることなんかがあるかもしれません。
亡くなってから式まで
12/21(土)、おばあちゃんが亡くなったという連絡が入りました。
介護施設や病院に入ったりもありましたが、100歳超という人生を全うしたと言っても過言ではない方でした。
詳細が決まってから、今後のことを聞いて知ったことがありました。
葬儀等の式は亡くなってすぐではない
式や火葬場の予定等が絡むので、「亡くなってからすぐに式があるわけではない」ということでした。
なので、おばあちゃんの場合
- 12/21(土): 亡くなる
- 12/26(木): 通夜
- 12/27(金): 告別式・火葬
となりました。
式の日程は六曜に影響される
カレンダーに書いてある六曜というものがあります。
先勝とか友引とか仏滅とか、そういうヤツ。
これらは葬儀や結婚式等、行ってもいい日・悪い日に影響するらしいので、日程に影響してきます。
特に葬儀の場合は、友引はNGなので避けられるそうです。
イマイチ六曜の意味まで考えたことなかったので、新しい知識でした。
通夜ってどんなもの?
基本的にやったことは、葬儀のように参列しただけに近いです。
このページ曰く
お通夜とは、夜通し灯りを消さずに、ご遺体を見守る儀式です。葬儀・告別式の前夜に、親族や親しい友人などゆかりの深い人々が集まって、故人の冥福を祈り、別れを惜しみます。遺族は夜通し灯明と線香の火を絶やさないようにします。
引用: https://www.osohshiki.jp/column/article/254/
という意味合いの儀式らしいです。
大まかな流れ
この日に行った流れは
- 時間までに集合
- 御霊前を渡す
- 開始時間まで待機
- 通夜式が開始(17:00)
- 読経が始まる
- アナウンス後、順番にお焼香
- 通夜ぶるまい(皆で飲み食いする)
- 散会(20:00頃)
- 帰宅
といった感じでした。
通夜式は、基本的に会場で仕切ってくれている方がアナウンスしてくれていたので、そのとおりにしていれば大丈夫な感じでした。
御霊前はいくら渡すの?
ぼくら孫は、皆1万円包みました。
この辺は文化の違いとかあるかもしれませんが、周囲と話し、揃えた感じでした。
また通夜・告別式の両方に参列するとしても、どちらかで渡せばそれでOKです。
お焼香について
どうやらやり方は、宗派によって異なるようです。
またうちをはじめ、一般的に多いのは仏葬が多いですが、その他の宗教での葬儀の場合、これにあたるものが異なった形であるようなので、それによって調べておかないとですね。
過去の記憶と周りを見ながらお焼香をしてしまったので、念のため行くまでにお焼香のやり方を調べておけばよかったかなと少し後悔しました。
しかし一番大事なのは気持ちだとは思いますがね……
通夜ぶるまい
通夜に参列した身内と、僧侶で飲み食いします。
寿司やオードブル的なものと、お茶やジュース、ビール、日本酒などといった飲み物が振舞われていました。
葬儀ってどんなもの?
ここが最後のお別れです。
大まかな流れ
この日に行った流れは
- 時間までに集合
- 開始時間まで待機
- 告別式が開始(11:00)
- 読経
- お焼香
- 読経が続く
- お焼香(2回目((なんのためのか忘れてしまいました……初七日のなんとか?)))
- 読経が終わる
- 棺桶に花などを入れる
- 棺桶を閉める
- 出棺(棺桶を霊柩車へ)
- 火葬場へ移動
- 火葬場
- 最後のお別れ
- 火葬
- お焼香
- 精進落し(食事)
- 骨上げ
- 散会(15:00頃)
骨上げ
骨上げは、火葬して残った遺骨を骨壷に収めることです。
2人1組で、箸で遺骨を掴み骨壷に順番に入れていき、最後に式場の方が納めてくれる感じでした。
正直ぼくはこの儀式が1番苦手です。
幼少時、おじいちゃんの葬儀でコレを体験しました。
おじいちゃんは、骨が大きかったらしく、普通に納めていったら骨壷に入り切らず、ザクザクと押し込んむ形で入れたのですが……
初めて見る知った人間の遺骨や、その行為やザクザクとした音、骨同士や骨と骨壷が擦れる音が、トラウマのように残っていました。
なんとか終えられたものの、終始に渡り体が引いている感覚と、超軽度な手の震えがありました……
精進落し
通夜とは違い、1人1つ分の食事が出る感じです。
飲み物も同じ用に、お茶やジュース、ビール、日本酒などを好きに飲む感じでした。
やってよかったこと
おばあちゃんの葬儀にあたり、普段なかなか書くことのない手紙を書くことにしました。
「おばあちゃんに宛てたもの」とは言いながらも、半分以上は自分の気持の整理のためでした。
ぼくはおばあちゃんと、距離的にはそこまで離れてはいないものの、なかなか逢う機会がありませんでした。
歳を重ねていき、少しずつ「この人が誰なのか」ということも忘れていき、ショックだったのもあり、半分意図的に距離を置いてしまっていたこともありました。
しかし幼少から可愛がってもらった記憶も思い出も、頭に刻み込まれていました。
手紙を書いて気がついた
亡くなった当日から式の前日くらいまで、どこかドライな自分がいました。
科学的な頭が
「人間はいつか死ぬ。おばあちゃんは長生きしたし、死ぬのも当然のことで、それがとうとう来てしまったな……」
くらいの感覚でした。悲しみもあまり感じず、涙も出ませんでした。
そんなドライな状態だったのに、モヤモヤした気持ちがあったので手紙を書いて整理することにしたのです。
書いていると、過去を思い出し、おばあちゃんが微笑んでぼくの名前を呼んでいるのを思い出し、気が付けば涙がボロボロと落ちていました。
ふと、ドライだった自分は、祖母の死をリアル落とし込めていなかったのだと感じたのです。
どこか仕事にも気が入らなかったも、このせいだったのかなと思いました。
さようなら、おばあちゃん
さようなら、おばあちゃん。
そして、いままでありがとう。
天国とかあの世とか、信じていないけど、もし本当にあるんだったら、おじいちゃんと再会して、みんなのことを笑顔で見守ってくれたらいいなと思います。
前半は大人になってからの葬儀関連が初めてだったので、記事的なことをつらつらと書いていたけど、手紙のこと書いてるくらいから、涙がポロポロとしております。
でも手紙や葬儀に参列して、本当に良かったと思っています。
このお陰で死をリアルに落とし込み、気持ちを整理できたので。
忙しい現代ですが、なるべく葬儀に参列してほしいなと切に思いました。
どうしてもできなかったら、後日お墓参りとかに足を運んだりとか。
自分の気持ちの整理のためにも。