仕事や勉強をしていると、「自分の時間」が全然ないように感じませんか?
しかしよくよく考えると、日々なんとなく過ごしていると、わからなくなる。
というか認識していない。
この「なんとなく」認識している「自分の時間」を再認識というか、ちゃんと認識できた登壇だった。
動画
ぼくが見たのはこの動画です。
時間という財産: Hidetaka Nagaoka at TEDxSaku
時間を「認知」する
「時間 = 財産」である。
日常の時間を計測する。
その概算がこれ。
行動 | 時間(H) |
---|---|
勤労・勤勉 | 8 |
睡眠 | 6 |
食事・サニタリー | 3 |
これを計算し、24Hに当てはめるとこうなる。
行動 | 時間(H) |
---|---|
合計 | 17 |
残り | 7 |
改めて時間にすると衝撃的である。
「自分の時間」というのは、概算値で7Hしかない。
同時に、1日の中に7H程もの自由時間があるということを認識した。
「ダルい時間」と同じだけ「自分の時間」が存在する
普段「仕事だる」とか「学校だる」とか、言ったり思ったりしながら生活していませんか?
ぼくはよく思います。
その定時間は大体7~8H程ですよね。
生活のために必要な時間は、必ず同じような時間が発生しますよね。
食べるとか寝るとか風呂とか。
そこを無くすと「仕事・勉強」の時間と「自分の時間」なわけです。
ダルいなりに生活のために過ごす時間が毎日ある。
しかしコレと同じだけ、自分の時間が存在することを目の当たりにした。
「ダルっ」と思っている勤労・勤勉の時間、「この時間、自分時間として使えたらいいのに」と思ったりしていませんか?
でもその時間分、自分の時間は1日の中で存在するんです。
この時間を自分のための「ナニカ」に充てられたらどうなるのか。
余命はわずかだ
人生が100年と仮定したときの、残り時間を提示してくれていました。
0~20歳と70~100歳を、人の助けを得て生きる時間と仮定した場合です。
項目 | 時間(H) |
---|---|
人生100年の時間 | 87万6000 |
0~20歳 | 17万5200 |
70~100歳 | 27万2000 |
睡眠時間(8Hとする) | 29万2000 |
残り(睡眠時間除く) | 11万6800 |
この残り時間「11万6800時間」は、
4867日
年数にして
13年4ヶ月
100年のに人生の中で、「13年4ヶ月」という時間しかない。
この試算では「20歳まで」を除外していますが、20歳を超えている方もいるでしょう。
ぼくはもう30歳になりました。
なのでこの計算より10年分、残り時間が短いわけです。
「自分の時間」にフォーカスして見ると、
ぼくの余命は、もう10数年しかない。
驚愕の事実を知りました
当たり前と思い、考えることを遠ざけていた。
考えることすらしていなかったことでした。
かといって、「何をしよう」を考えついたわけでもありません。
でも、少し今日という日が、昨日より大切になりました。
「これからの自分」を考えるための、よいお話を聞けたことを感謝します。