最近Google Play(Androidのアプリ用マーケット)を見ていて感じたことです。
ついついレビューを参考に「しすぎて」しまいがちな現代。
しかし、そこにとら「捕われ過ぎて」しまっていていいのでしょうか?
他のモノにも共通することですが、今回はGoogle Playを見て感じたことを書いていきます。
レビューを絶対的意見にしがちな現代
現代はどんなものでも「レビュー」という、一般人の付けた評価のうえでなりたっていますよね。
レビューの投稿、はたまた「★5.0」のようなレート表示。
何かを探していたら、まずレートとレビューを見て決める。
これが当たり前な「事前準備作業」ですよね。
ぼくもやります。
でも低すぎるレベルのモノを除外するのではなく
「より良いものを手に入れる」
ということにも、この手段を使ってはいないでしょうか?
レビューを誰でも投稿できる世の中
業者やステマ等は置いておいて。
Androidの場合、世界的に使用されています。
なので「日本語非対応」なんてことがザラにありますよね。
「とてもいいアプリですね!でも日本語じゃないので★4です!」
これ、アプリの評価じゃないですよね。
特に「日本語対応じゃないから★-1してます」というレビュー。
毎回毎回「またかよ」と思って見ています。
外国の製品買ってきて
「とてもいい商品です!でも日本語じゃないから★-1です!」
って書くのかよ。
レビューとは「参考程度」の存在
当たり前な話なのかもしれないが。
レビューは結局「参考程度」という位置から先には行けないものなのかもしれない。
こういったある種、固定概念のようなものでレートが下げられていったり、悪いようにレビューが書かれたりというのが多く感じました。
それがたまたま新規書き込みで、上の方に表示されていると、更に目立ってしまう。
これによって、
日本人は特に「マイナス査定」なので。
「これはいいものか?」は「これっておいしい?」という質問と同じ
「おいしい?」と聞いても、結局趣味趣向が出るじゃないですか。
大体の人が「おいしいと思うもの」なので、★3.5以上で検索するまではいいとして……
そこから先って、結局「食べてみないとわからない」=「使ってみないとわからない」なんですよね。
この観点で考えたら、周りが「iPhoneいいよ!iPhoneにしようよ!」って言ってくるけど、ぼくは左上にバックボタンのあるiPhone系アプリ全部嫌いなので。
「全体的な機能や性能はいいけど、個人的にこうあって欲しいから、このアプリは嫌なんだよねぇ」
という意見をレビューに投稿するのはいいと思うんですが、「個人的にこうあって欲しいから~」は、レートに反映させるべきでない。
それはアプリの評価でなく、個人的感想じゃないですか。
ブログやTwitterにでも書いてください。
本当に良いものを手に入れるなら
本当に良いものを手に入れたければ、結局「少し試してみる」が大事です。
使うのが一番手っ取り早いから。
レートで一定水準を切り捨てるのはいいと思いますが、そこから先は「試す」という作業が発生してします。
でもそれで手に入った「本当に良いもの」は、「自分にあった最良のもの」になりますよね。
ついついレートを「全ての参考基準」にしてしまいがちですが、「一度触れてみる」をオススメします。
正直マインドマップのアプリを漁ってた時に、10個以上アプリを触ってみてひしひしと感じました。
高レート=いいものじゃないんだなぁって。