「好きなもので周りを満たしたい」
当たり前かもしれない感情ですね。
自分の周りを「お気に入りの環境」で満たすことは重要だと思います。
モチベーションやテンションが上がるので。
しかし、自分の「好きなもの」が全てそれに当てはまるのでしょうか?
スマホとPCの違い
スマホはホーム画面に壁紙という概念あります。
これはすべてに状態において、画面全てを使用します*1。
ホームを表示しているときと、アプリを開いているときの画面専有面積は両方とも「1面全て」
でもPCは違う。
使い方は人それぞれだが、ぼくは全画面や最大化を使ったり使わなかったりする。
どちらも使うが、結構な確率で最大化しないで使うことが多い。
なので場合によっては、表示が1アプリに対して、アプリと壁紙(デスクトップ)となる。
壁紙の煩わしさ
突然だが、ぼくはDIR EN GREYがすきだ。
特にフロントマンである京さんがずっと好きだ。
なのでスマホの壁紙を、DIR EN GREYや京さんにしていることが多い。現在進行形だ。
しかし、PCの壁紙は設定していない。
DIR EN GREYどころか単色だ。
これは会社も自宅も同じだ。 単色で黒。最近はダークな青にすることもある。
なぜか。
端的に言おう。邪魔だからだ。煩いからだ。
たしかに好きだ。大好きだ。
かれこれ10年来、音楽からビジュアルまで大好きなモノだ。
だが作業に不要なのだ。
集中力とノイズ
以前メンタリスト DaiGoの動画を見ていたとき、こんなような事を言っていたのを記憶している。
人間は身の回りのモノが目に入っただけでも、集中力を削られたりエネルギーを消耗する。
特にスマホはやばい。
目に入るだけで、集中力がごっそり削られる。
人間(というか動物?)の本能的なモノらしく、見知らぬモノや気になるモノがあると、警戒するからそっちに意識を使うらしい。
動物時代や狩猟時代の名残でしょうかね。
なので部屋がリビングが散らかり放題の人は、そこにいるときの注意力は散漫になるわけですね。
「好きなモノに囲まれる幸せ」は本当に正しいのか?
ここで壁紙や背景画像について考えてみる。
壁紙や背景画像は、見た目が華やかになったり、好きなものに囲まれて幸せになる……!
というのはわかるが、本当にそれが全て正しいのだろうか?
ぼくはこの画像達が集中力を削ぐノイズとなると考えている。
なんだったらデスクトップのフォルダも嫌いだ。
最近は「デスクトップの非表示」で、デスクトップ上のアイコンをなくしているくらいだ。
なぜかというと
アプリを全画面していないと、余白的にデスクトップが見える箇所がある。
そこにファイルやフォルダがあるだけで目障りなのだ。
作業に集中する為に、視覚的ノイズをできるだけ遮断したいのだ。
少なくともノイズの原因を1つでも。
PCにおける「好きなモノに囲まれる幸せ」とは
ぼくの思う、PCにおける「好きなモノに囲まれる幸せ」というのは、視覚的環境のセットアップである。
お気に入りのフォントやカラーやテーマ。
なのでぼくは、新しい何かを入れるとビジュアルのセットアップから入る。
それが視覚上、PCにおける「好きなモノに囲まれる幸せ」なのだ。
きっとぼくは集中力が低いんだろう。と改めて思った。
あとがき
CicaかわいいよCica(フォント)。
矢印めっちゃ使うマンなので、Cica ver2系がおすすめです。
*1:分割したりフロートさせたりするアプリや機能もありますが、今回は例外とします